正義のお葬式の歴史の足跡

元々は神道の習慣が神仏融合化によって

2017年01月20日
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元々仏式の葬儀で使用されることがなかった清めの塩は、現在では仏式、神式、キリスト教関係なく使用することが一般的です。日本国内でそもそも清めの塩を利用していたのは神道で、元々日本では死を穢れと考えられていました。昔の神話の中にも、亡くなった妻を迎えに行った神が、あまりの姿の変貌に驚き、清めるために塩をまいた事が描かれています。そのため、昔から死は穢れたものとされ、汚れを祓うためには塩が必要との考えが定着していました。しかし、その後仏教伝来に伴い、神仏の葬儀をはじめとした風習や儀式が融合化していっています。

その過程で神道であるはずの塩に関して、仏教でも利用されるようになったというのが通説です。現在でもその習慣は根付いており、お葬式の帰りに塩を渡すことが多いゆえんとも言われています。歴史上、海外の仏教では塩を使って清めるといった発想はなく、日本国内だけの風習といっても過言ではありません。ただし、仏教でも浄土真宗に関しては、神仏融合化に際して入ってきた土着信仰をはじめとした発想を受け入れない宗派だったため、汚れを祓うといった発想もありません。塩を使ってきれいにするやり方としては、上半身だけでなく、下半身にも欠けることが正式なやり方といわれます。

もちろん玄関先で行う人が多く、結果として邪気を払ってきれいになれると考えられている為、正式ややり方を覚えておいてください。第一に、上半身に軽く振りかけ、その後下半身に振りかけるのが通例です。振りかける時には、周囲の人の目に塩が入らないように、細心の注意が必要といえます。塩を適切に利用することが、清めにつながると考えている人は多く、香典返しの中に入っていて利用しやすいことは少なくありません。塩を正しく利用することが、現在の歴史で文化を守る行為につながります。

[参考]
くるみの葬儀体験談
www.kuruminosogitaikendan.net
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